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祖父曾祖父の父親名義のままだったという場合もあるようです。こうしたケースでは、名義変更に労力も時間もかかります。まず、添付書類の用意ですが、本文のとおり、祖父の出生から死亡までの連続した戸籍謄本が必要になり除籍謄本や原戸籍謄本(改製によって書き換えられる前の戸籍)などもそろえなければなりません。
そのうえで、法定相続人民法で定めらた相続人を確定するのですが、すでに亡くなっている人の子どもが該当するといったケースは少なくありません。そのため日常的に連絡をとることのない疎遠な人が法定相続人だったりして、印鑑証明書の提名義変更への同意をとりつけるのに苦労することもあるようです。
出など、表のケ祖父の法定相続人は父親と父親の妹スでは、(叔母)です。
ただし、叔母は亡くなっていることから、子どもA·子どもBも法定相続人に該当します前田さんの場合は1人だった

名義にするためには、空き家を妹、子どもBの承諾が必要になり子どもA、ます。

「兄は父が亡くなったころは真面目に仕事に打ち込むようになっていましたが、ちょっと人生を踏みはずした時期があり、母はまだ本心から安心できなかったのでしょうね。父が亡くなったあと、兄に相続を放棄するように言ったんです。それで、私にも相続放棄させました。

不動産を含めてすべての財産が母親名義になっていたのです」終戦後に夫婦で苦労して作り上げた事業や財産を息子の放蕩で失うようなこ母親としては、とはしたくなかったのだろう。また息子の仕事ぶりや生活の様子を見て、いずれの機会に生前赠与という形で譲るつもりでもいたようだ。ところがその息子が早世してしまったのだ。跡継ぎを失い母親もショックだったのだろう。長男である兄の死後、佐藤家では運送業をたたんでしまった。
以後は、兄嫁と母親がもうひとつの家業である味噌の製造と、貸している土地から入る地代で生計を立てることになる兄の相続はどうだったのだろう。館野さんはこう言っている。
「兄の相続については、以前が以前だけに、私はまったくタッチしていません。母親は兄に隠し子でもいるのではないかと心配したようですが、幸いなことにいなかったようです。

土地は所有から活用へ不動産は母親の名義ですから、兄の遺産といっても預貯金や死亡保険金ぐらいのものだったでしょう。それを義姉と母親でどう分配したのかはわかりません。規模は大きくありませんが自営業でしたから、借金もあったのではないかと思います」兄の財産の3分の2を相続する権利がある。配偶者である兄嫁には、しかし、父親の相続を放棄しているので、財産は自分自身でつくったものだけ。そう大きな金額ではなかっただろう。ちなみに館野さんの兄のように子どものいない場合の相続は、配偶者と親で故人の財産を分けることになる。
相続では配偶者を別格として、が優先されるので、縦の関係親子関係館野さんの兄のケースでは母親も相続人ということだ。相続の権利がないといっても長年母と同居してきた兄嫁を無視できない館野さんの母親が亡くなったのは、2012年12月のこと。
悪化した膝の手術のために入院術後の経過も順調で退院も間近というところで突然に肺炎を患い、ほどなく息を引きとったという。88年の生涯だった。四十九日の法要が終わり一段落したあと、実家に戻って兄嫁に家の売却の話をした。
「決して、一方的に家を出ていけというようなことは言わなかったのですが、ものすごい剣幕でした。親戚の人たちはみんな帰ったあとでしたが、私の夫がとりなしてくれたので、少し落ち着いてくれましたが。こちらが考えている以あんなに興奮するとは思ってもいませんでした。上に義姉は不安を覚えていたんでしょうね」家の処分の話はいったん棚上げし館野さんは帰京、初盆のときにでもまた話し合おうと思っていたという。
「東京に戻ってからしばらくして、義姉から手紙が来ました。
遺産分割は義姉と協議して決めるいざ現実に要求されてみると、ことと土地の一部を要求していました。やはり困惑がありました。

母との同居を選んだ義姉に感謝していますから、なにがしかのことはしなければと思ってはいたのですが、こちらが切り出す前に主張されたので、カチンときたことを覚えています」館野さんは、結論を急がず、まず頭の中を整理してからと、時間をおいて考えをまとめることにした。しかし葛藤はあったという。母からではないのですが、義姉が母につらくあたることがあると耳打ちされたこともあったんです。そんなことを思い出すと、義姉の要求を突っぱねたくなりました。分ける必要はないという周囲の声も耳に入ってきます。でも、母に尽くしてくれたのも事実です。家業の味噌づくりも手伝ってくれました。
もとより財産をひとり占めしようなどとは考えたこともありませんから、なんとか穏便に解決することが兄と母の供養にもなるし、残された私の役目だと自分に言い聞かせました兄嫁に新しい住まいを用意し

空き家となった実家の片づけに取りかかる館野さんが兄嫁に提示した条件は次のようなものだった。遺産分割およびその処理については、相続人である自分が決める。兄嫁と協議して決めることはしない。
ただし、現在、人に貸している土地は兄嫁に無償で譲る。また、実家から新居に移る引っ越し代、向こう3年分の新居の家賃はこちらで負担する。
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何にもできないくせに
土地の譲渡にかかる贈与税などもこちらが負担、ただし不動産の名義書き換えに伴う登録免許税という条件も補足でつけた。固定資産税、地代収入にかかる所得税は兄嫁側の負担、「当初は渋っていましたが、貸している土地からはそれなりの地代の収入があることを説明し新しい生活が軌道に乗るまでを見込み、向こう3年間の新居の家賃もこちらが負担することでなんとかOKをもらいました」事が決まれば、すぐに行動に移すのが館野さんである。1か月後には母屋や味噌工場を取り壊し、更地にして売りに出す。それからほどなく、買い手も見つかった。
売値から解体費用や手元には数千万円が残ったという。兄嫁の新居の家賃3年分などを支払っても、「兄嫁は財産分与の結論が出て、1か月後に新居へ移りました。その後、空き家の片づけに帰ったときには、主だった家財はほとんどなくなっていました。家電品も残っていませんでした。そう高いものではないですが、貴金属類もなくなっていました」兄嫁が持っていったものは、これまでの慰労金代わりに不問に付すことにした。

捨てるのをためらうような品物は、兄嫁が持っていってくれましたから、おかげであとは楽でした。写真や形見の品だけを選んで、残ったものはまとめて廃棄処分にしました。家電品では古いエアコンと洗濯機だけが残されていましたね。
これも持っていってくれればよかったんですが、リサイクルショップでも引き取りそうになかったので、家を解体するときに一緒に処分してくれるよう業者にお願いしました実家の片づけが終わると、やっと肩の荷が下りたようでほっとしたという。

親·家·片アド,uス義父母の世話をした長男の嫁が相続人になることはあるのか?
最近の相続でクローズアップされているのが、故人と同居していた長男の嫁問題ですたとえば、故人が晩年に介護や看病が必要となり、同居していた長男の嫁が介護や看護の任にあたったとしても、長男の嫁に相続権は発生しないという問題です。介護や看病の負担で特別に寄与した者は、寄与者として相続割合を増やす例もありますが、それも相続人間の合意が前提です。それ以前に、寄与者として認められるのは相続人に限られます。
つまり、実際の寄与者は長男の嫁であったとしても、寄与者になれるのは長男相続人世話をしたのが嫁であっても、であり、本人に寄与者としての寄与分が認められるわけではないのです。唯一長男の嫁に00の財産を譲るの救済策は、といった正式な遺言書があることです。
正式な遺言書で指名されていれば、全財産は無理ですが、長男の嫁にも財産は分与されることになります。

ケース借地権は立派な相続財産。借地権の価値を知らずに契約を解除しそうになり危うく大損するところだった。
神奈川県·45歳山崎香織さん(仮名)母親の死去で空き家になった家は借地の上に建っていた「更地にするためにかかった家屋の取り壊し費用がおよそ130万円、そのほかに地主に譲渡承認料を支払うなど諸経費を引いて、おおよそ1700万円ほど残りました。
私はそのうち700万円ほどを受け取りました」基本的には売却することも可能だ。借地であってもその借地権は相続財産であり、山崎さんの現住所は横浜都内に購入したマンションに住む兄は、山崎さんと同じように一男1女をもうけているが、離婚したことで現在は子どもとの3人暮らしである。埼玉県生まれ。
還付請求すると吉永小百合主演の映画キューポラのある街山崎さん兄妹は、で知られる埼玉県川口市に隣接する街で育った。京浜東北線の最寄り駅からはタクシーでワンメーターの距離である「私が育ったころは、最寄り駅周辺は飲食店などが多く、お世辞にも雰囲気がいいとは言えませんでした。酔客を誘う黒服の男性が何人もいて、帰宅が遅くなっ派手なネオンの店の前には、たりすると、ドキドキしながら早足で家路についたことを覚えています」山崎さんが育った実家は、およそ200mの敷地に建つ木造平屋建ての住宅。広い庭で遊び回ったという。
隣接する家はお屋敷然とした大邸宅だ。父親の死後は母親がひとり暮らしをしていた。だが、母親も亡くなったことで、借地に建っ実家の処理を迫られることになる。空き家となってしまう親の家たたむか、残すかで意見が分かれる生まれ育った家の土地が、隣に住む大邸宅の持ち主から借りている借地だったと知ったのは父親の死後だったという。

借地に建つ山崎さんの実家は、建ぺい率60%、容積率200%の地区にある。敷地はおよそ200㎡。都市部にしては広い借地だが、50年ほど前の契約であり借地料は月に5万円程度だったそうだ。山崎さんは借地を地主に返し家を処分しようと考えたのに対し、兄はそのまま継続することを主張した。
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複雑化するのは、むしろ貸している側の相続で、借地人から権利を買い戻す資土地を処分して遺産分割したいケースでは、金が必要になるし、そもそも借地人がOKしないことには土地を処分することができないなど問題が多いいずれにせよ借地権や借家権は相続できる。

借地権は売買が可能で、また、地価の高い地域では高額で取り引きされている。このことを山崎さんが兄から聞いたのは、兄が突然、売却しと言い出したときだ。よう山崎さんの兄が借地の継続から売却へ考えを変えたのは、子どもの英国留学希望を聞いたことによる。英国の大学へ留学ともなれば、少なくとも年間400万円は必要になる。2年間としても旅費なども含めれば、1000万円に近い金額だ。
山崎さんの兄は、父母の家の借地権を売却して、その資金の一部にしようと思い直したのだろう。借地権の売却価格のルール一般的な土地売買よりも借地の売却価格は割り引かれる「突然、売ろうと言い出したので驚きましたが、兄は決めたら行動は早かったです。
自分の土地の場合でもそうなのでしょうが、借地の場合は地主さんとの関係もあってさらに複雑になるようで、すべて兄にまかせることにしました」山崎さんの兄は、最初に地主を訪れ借地の買い戻しを打診した。
しかし、地主は「買い取るという返事だった。資金も意思もない」そこで不動産関連会社に勤める知人を訪ね、適当な業者を紹介してくれるように依頼。分譲住宅の販売をしている工務店を紹介してもらったという。

住宅は男の甲斐性住宅街にあって立地が比較的よかったことで、工務店も借地権つきの土地の購入に前向きなってくれたそうです。ただし、地主さんは2棟の分譲物件にするという点に難色を示しました。しかし、自分で買い戻す気はなかったのですから認めてもらいました山崎さんの借地売却はこれで終了。埼玉県でも東京に隣接する地域だったことが幸いしたこのエリアの不動産は買い手が多い。工務店のほうでは土地つき分譲住宅しかし、で売り出すか、借地権つき分譲住宅かでは売値が違う。
高い価格をつけられる土地つき分譲住宅で売り出したかったのだろできれば、う。その後も土地の買収交渉を地主と続けていたようだ借地というのは、底地という、地主の持ついわば所有権のようなものの上に、使用権としての借地が乗っている2階建て構造だ。底地はあくまでも所有者である地主のものである。
そこで工務店としては、2階部分である借地とともに1階の底地を買収し、一般的な土地売買のできる状態にしたかったのだ。

工務店の交渉はうまくいったらしく、山崎さんの生家のあった土地には、2軒の土地つき分譲住宅が売り出され、いまではそこに新しい家族が住んでいる。

借地を売却するとなってから兄にせっつかれながら親の家を片づけついこの間まで家はこのまま残すと言っていたのに、「兄は現金なもので、売却を決めたとたん早く片づけろ』と私をせかしました。あんなに心変わりが早いの『実家に残してあるものは、かと、あきれたものです」解体廃材と一緒に処分してもらえる家は工務店の手配で解体することに決まっていたので、ものには手をつけずにすんだという。

残したままでよかったので助かりました。「もう使わないタンスやテーブルなどは冷蔵庫やエ兄がリサイクル業者のところに持っていったりしていました。アコンなどの大型の家電品は、兄は父が愛用していたカメラや釣竿、私は母の着物を私はもっぱら形見の品の整理でしたね。もらいました」週末に横浜から埼玉まで通った。

家の片づけのために約1か月間、私は学生時代に卓球をやっていたので、「子どものころの写真や賞状、そのころ使っていたラあらためて自分はここで育ったんだなとしみじケットやユニフォームなどを整理していると、でもいつまでも思い出に浸っていると片づかないし、期限を決めて、残ったもみ思いました。
いやすぐに片づけましょう