中古住宅

時価<路線価

空き家バンク制度空き家除去費補助金空き家対策に独自に取り組む自治体も空き家は全国で広がっており、各自治体も対策に乗り出している。最も普及しているの空き家バンク制度は、だろう。空き家の所有者から空き家の情報を登録してもらい、移住希望者などに登録情報を提供するものだ。
老朽化して倒壊の恐れがある空き家について、危険度が高いと判断すると持ち主に建物の解体や撤去を指導·勧告、従わなければ氏名の公表をするといった、空き家の強制撤去iに動き出している地方自治体も目につくようになっているが、最大で50万円の空き家除去費補助金を出している長崎市のような例も出てきている。ちなみに、住宅を撤去すると、固定資産税の住宅用地特例は受けられなくなる。
住宅が建っていれば、200m以下の部分の敷地については課税評価額が6分の1に、200m!を超える部分については3分の1になるというもので、更地になるとそれが受けられなくなるため、固定資産税の負担は増すことになる。
土地は所有から活用へ空き家や空室を地域の資源ととらえ、地域コミュニティの活性·再生につながる公益的|活用を推進しようと、そのオーナー向けに相談窓口を開設しているのは東京都世田谷区だ.たとえば、築年数が古い木造賃貸アパートを改造しデイサービスと認知症カフェを備えた地域の多世代交流の拠点としたり、自宅続きの空き家を含めてシェアキッチンやイベント地域貢献活用モデル事業として、開催のためのコモンスペースにしたケースでは、助成金を出している。
NPO法人などが空き家を借りて、国や地方自治体の補助を受け、高齢者向けの施設に利用するといった例も出てきた。親が住まなくなって空き家になっている家の処理で迷ったら、当該自治体に問い合わせてみるのもひとつの方法のようだ。

ケース家を売るにも貸すにも東京のほうが有利。

それなら自分たちが東京を離れて親の家に移り、東京の家を売るか貸すかしたほうがいい!大塚幸子さん(仮名)東京都·58歳夫の60歳の誕生日を機に東京の家を引き払い空き家となっていた実家での生活を選択都内にある現在の住まいを貸し出し、誰も住まなくなって空き家になっている実家で暮らすことを決めたのが大塚さんだ。
「10年間で何回、実家と往復しましたかねーか月2回として年に2回、10年なら240回の計算になりますが、実際にそれくらい実家と行き来しましたね。今後、しばらくの間は180度これまでは実家に帰っていたのが、これからは実家から出かけるようになりま様変わりです。と大塚さんは言う。す」夫の00歳の誕生日を機に、東京の家を引き払い、夫婦で一緒に大塚さんの実家に移り住むことを決めたからだ。
夫は、リタイアはしないものの、1y2週間に1、2日程度出社するだけになるという大塚さんの帰省が頻繁になったのは、父親の3人が、実家に住んでいた叔母、母親、0年からの10年間に相次いで病に倒れたり、介護が必要になったりしたためだ。

土地神話

ひとり娘である大塚さんの負担は大きかった。ツインリンクもて大塚さんの実家は、益子焼栃木県の芳賀地区にある。やサーキットのなどで知られる地域で、ぎ茨城県に隣接する。「自動車の免許を持っていないので、電車を何度も乗り換えて実家と往復しました。
都心から!00㎞圏内といっても、新幹線や直通電車がないので時間がかかります」看病や介護で気ぜわしい帰省唯一くつろげる場所は、親友の寿司屋だった大塚さんの東京の住まいは、そこから上野駅に出て、東京都世田谷区。
JR宇都宮線の小山駅でJR水戸線に乗り換え、下館駅から真岡鉄道で実家に向かうというのが通常ルートだった「何回繰り返しても、『やっと故郷が近くなった』最後の真岡鉄道に乗ってはじめてと感じるもつくばエクスプレスが開業してからは、のです。それを利用して途中駅で関東鉄道常総線に乗り換えて行くこともありました。いくつものルートがあり便利なようで、実は不便。
実家は駅から5分と近いのですが、どのルートを選んでもドアツードアで5時間弱です」そんな大塚さんが、実家の行き帰りで唯一ホッとくつろげる場所が、実家の最寄り駅前にあそこでひと息入れてから実家に向かうのがるお寿司屋さんだ。
土地は所有から活用へ地元に残った親友の嫁ぎ先で、帰省の際のパターンだ。「実家に帰るのは、何かしらしなければならないことがあるためです。病院に付き添ったり、町役場に出向いて書類を受け取ったりと、わずか1泊でそれらをすませようとすると、気ぜわしくてなりません。それでまず寿司屋に立ち寄り、夜は夜で食事のためにまた出向き、集まった昔の友人とたわいもない話で盛り上がったりするのがいつものこと。
そうやってストレスを発散していたのかもしれません」それでも叔母、父親の3人は、母親、大塚さんの看病や介護の甲斐もなく相次いで亡くなっ空き家になった大塚さんの実家は220mの敷地に、築40年の2階建ての家屋。かつては手入れが行き届いていた庭も、雑草が目立つようになっていた。
時の経過とともに、こっちに帰ってきたら同級生のという誘い

最初は受け流すばかりだったが……空き家になってからは、お寿司屋の友人や近所に住む持つべきものは友達ですね。

「やっぱり、郵便物の整理をしてくもうひとりの同級生が、晴れた日に雨戸を開けて風を通してくれたり、れました」父親の死後も東京の自宅と実家を行き来す友人たちの協力を得ながら、実家の管理のため、る生活を続けた大塚さん『あなたもこっちに帰ってきたら』と何回も言われ「寿司屋で親友や同級生と話しているうちにそのうちに実家の処分のことを考え始最初は受け流すばかりでしたが、るようになりました。

高校時代の友人が不動産会社をやっていた!

それなら、もし夫が承諾してく売却しようにも恐らくいい買い手はつかないだろう、めると、実家に戻って暮らすという選択肢もあるかなあという気もしてきました」れるなら、夫婦で植物園に足を向けたり、父親の死後は、ゆっくり過ごす時間もできて、高尾山に登っ箱根や伊豆方面にも足をのばした。たりした。小旅行の途中も、田舎の家をどうしようかと考え続けていたことはいうまでも大塚さんが、親友が誘うように、田舎に帰る、売るにも田舎では買い手が見つかるかどうか。というない。選択肢も捨てきれない自分がいることにも気づき始めた。そんなときのことである。大塚さんの夫は入院を余儀なくされたのだ。検査してもらうと脳梗塞の疑いもあると診断されました。
夫は「肺炎をこじらせて病院に行き、60歳を節目にセミリタイアしようかなこの入院を機に、もうそろそろ仕事も引き際かなということも考え始めたようです」勤務ス大塚さんの夫の会社は、60歳定年、その後65歳まで定年を延長することができるが、週に何日か、あるいは月に何日タイルにはいくつかの選択肢があった。
Aの全財産を長男に相続させる毎日出勤も可能だし、それでセミリタイアも想定するようになったのだか出勤する形も選べた。「当時、そこで一度は夫が今後のことをどう考えているのか聞いていたわけではありません。きっちりと話し合おうと思ったのです」夫婦で話し合いを重ねる中で同意形成東京の自宅を引き払い実家暮らしへ舅姑は健在で長男夫婦と暮らしている。大塚さん夫婦大塚さんの夫は東京生まれの次男坊。には子どもはいない。
r現在の家は、沿線、駅からの距離、戸建てかマンションか……といったように20項目程何事も合意で決めようというのが、私たち夫婦の度の設問をつくり、話し合って決めました。どう切り出そうかルールなのです。
ただし、今回は私の田舎に住むか否かという選択なので、悩みました大塚さんが切り出す前に、今後のことについそんな大塚さんの雰囲気を察知したのだろう。て尋ねてきたのは夫のほうだった。という考えがあること大塚さんは、夫婦で大塚さんの実家に戻り一緒に暮らす、そのとき、実家暮らしを決断していたわけでもないし、無理に押しをはじめて明かした。
大塚さん自身、「栃木かぁ……、さすがに都内まで通うのは大変だなつけるつもりはなかったが、夫からはやや戸惑いの言葉が出たという。といった、あ」

話し合いの流れが変わったのは、大塚さんの夫の病状が快方に向かい、再び旅行ができるようになってから。大塚さんの夫の趣味である鉄道撮影、いわゆる”撮り鉄”によくつきあうようになったころからだ。
退院後のリハビリを兼ねて、青森県の三沢市と十和田市を結ぶ、十和田観光電鉄にも廃線前にふたりで出かけている「前々から私たちは会話の多い夫婦ですが、車中いろいろなことを話しました。
そんな中で舎暮らしもいいかな』という流れになりました。